親を許すということ


このブログで何度か書いてるように、私は母の入った宗教団体による、洗脳が原因で精神を患ったわけだが、その原因追求をしている中で、ふと、私がそれをやめれば病気と正面向き合って寛解に近くなるんじゃないかと考えた。

母親から充分な愛情を得られなかった、無理やり宗教に引き込まれ、マインドコントロールされた。そういったネガティブな被害者意識があるうちは、心は自由になれないと感じた。

言わば、精神的虐待を受けて育ってきたから愛情がどんなものなのかも分からず、大人になった今でも他人からの好意や肯定の気持ちを理解しにくい。

しかし、そんな親も一人のただの人間。
親を許すなどというと、おこがましいと見る方もいるだろうが、私は敢えて母を許すという選択をした。

母には再三宗教をやめて欲しいとか、私は辞めるだとか言ってきた。
だが、長らく洗脳された母は頑なに考えを変えない。

ならば私が変わるしかないのだ。
もう宗教戦争はやめよう。
私は戦線離脱して、母を責めるのをやめることにした。
その旨を母に伝えた。

母はどう感じたか解りかねるが、一度決めたら心を締め付けていた何かがスッと取れたような気がした。

親を許すことで、もうつまらないことでイライラしなくなる、時折襲ってくる、挫折感もすぐにポジティブな見方に変えられる。

実はそう決断したとき、私は涙が止まらなかった。
もう、母を憎まないで済むのだ。母のせいにしていた全ての問題を自分の問題として受け入れ、向き合って解決していく。
焦らずゆっくりと自分のペースで成長するのだ。
そうして初めて精神と身体とが、相互的に成長すると感じた。

なぜ自分は普通の人生を送れなかったのかと嘆く時間ははっきり言って無駄な時間だ。それよりも、これからどう生きていくか?と考える方が余程建設的で有意義だ。病気になって諦めざるをえなかったことを嘆くより、病気になって同じ障害を持つ人の気持ちがわかったり他人が経験したことのない苦しみや悲しみも知っているから、些細な日常にも幸せを感じられるとか、考えた方が楽しいし、何より心が温かい。

そう気づいたとき、私は今までとは違うなにか清々しい気持ちになった。
母を許すことで、心の自由を得たのだ。ただ、決意はしたけれどそれが揺るぎないものになるまで、やはり少し時間は必要だろう。マイペースでいいから、少しずつ、一歩ずつ、自分の道を歩いていこうと思う。